ニャンニャンの日記

毎日ニャンニャン

ジンジャーエール2

「つらい」と「からい」の「辛い」が同じ漢字であることを今日ようやくハッキリと認識できました。同じ漢字なのか、それともどこかが微妙に違うのか、それがずっと曖昧なままでしたが、同じ漢字だ!ということでハッキリ認識しました。

 

それと「辛」って書こうとすると、どうしても「幸」かまたは存在しない漢字を書いてしまって、なぜか「辛」って書くことができなかったんですが、それも最近書き分けることができるようになりました。

 

こういうその気になればすぐに解決するようなことなのに、頭の片隅にあるばかりでずっと放置してしまっていることってある。

ジンジャーエールの味とか。

若者

今日の昼間はとても暑かった。

自分の住む街の気温を調べてみたら29度だった。明日もそんな感じになるらしい。

今年はもう梅雨の存在は忘れられて、このまま夏になるのかな、とかそんな気がしてしまうけど、そんなことはないんだろうな。

 

先日、小雨が降る中で仕方なく傘を差して歩いている時に思ったけど去年はあまり傘を差さずに済んだ一年だった。

一昨年は覚えてないけど2016年と2015年はよく傘を差してた。それは今よりも随分歩く必要があったからなんだけど、それに加えてよりによってみたいな雨の降り方をすることがよくあったから印象も強く残ってる。

この2年はよく雨に濡れた。

 

半そで

夏はまだ遠くにあるように思えて、もしかするとすぐそこまで来ているようなそんな微妙な季節です。夜は暑かったり寒かったりですが、室内では半袖の人も見るようになりました。

 

静岡では半袖のイントネーションが独特だという話を聞いたことがあります。静岡で地元の人たちの会話が耳に入ってきたとき、その言葉は「半袖」ではなかったけど、確かにイントネーションが自分の知ってるものとは違って感動したことがあります。なんて言葉だったけな...。

思い出せないなあ...。

 

僕の地元佐賀では「新幹線」のイントネーションが独特な人がいたりいなかったりします。

僕の故郷佐賀はイカが美味しかったり温泉があったりしますが、もしも来る機会があれば現地の人が喋ってる佐賀弁を聞いて感動してもらえればとても嬉しいです。郷土愛。

 

季節の話に戻すのですが、夏の始まりを感じる頃には同時に夏の終わりについて思いを馳せたりしませんか?僕はします。夏の終わりの情景を歌う曲は夏の始まりにも聞きがちみたいなところある。

今年の夏は何らかの形で花火が見れたらいいなあ...。できれば打ち上がる五尺玉だけど、でも線香花火でもいいなあ。

あるかなあ。ないかなあ。

 

フーセンガム

小学生のとき、クラスに一人はドラえもんめちゃくちゃ好きな子いなかった?大体はドラえもん好きだとは思うけど、その中でも圧倒的にドラえもんが好きな子いなかった?俺はいた。

 

かくいう俺はドラえもんのことが、まあ普通に好きでした。

 

ドラえもんのマンガの17巻だけ何故か持っていました。バイバインという道具で無限に増え続ける栗まんじゅうをロケットで宇宙に飛ばす話がやたら印象に残ってます。

エレベーター

この言葉、まあ例えばバウムクーヘンとか、人生のどこで知ったんだっけな?みたいなことを突然思った。

 

チューインガムという言葉だったら覚えてる。

小学生のとき、図書室にエルマーのぼうけんという本があって、その話にチューインガムという言葉がよく出てきた、という記憶がある。

チューインガムがどういうガムか知らないので、上手くイメージできず、それでもチューインガムという言葉は出てくるので参ってしまった。そういうワケで、チューインガムとの出会いは覚えてる。

ビリジアン

世界にはたくさんの人間が生きているので、自分の発想には無いような人もきっと存在してる。初めて聞く音楽でなにこれすげえ!とか特別新鮮さを感じるわけでもないけど「こんなのあったんだ」って思うような曲があるみたいに、自分にとってそんな人もきっと存在する。

これから出会う誰かにとって自分もそんな人間になれたらいいなと思う。

 

小学生のとき、多分兄のおさがりの絵の具を使ってたんだと思うけど周りと比べてだいぶ渋い絵の具を使ってた。群青色とかビリジアンとかそんな色があって、ビリジアンってなんだよって思ってたはず。

 

やったことないけどスプラトゥーンみたいに、色と色でぶつかり合ってできてる世界を想像すると、自分の発想には無いけどとても好きな色をしてる人に会ってみたい。

しまうま

何でもいいので毎日何か書いているんですが、読み返してみると過去の記憶を掘り返してばかりだった。

どちらかといえば現在や未来のことを書きたいから、徐々にそういう方向に向かいたい。

 

20歳くらいまでは視力良い側の人間として生きていたけど、ある日、バスの電光掲示板の料金がぼやけて見えなくて、「見えないってこういうことか...」ってなった。

今ではもうすっかり...。